ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

商人の年季

三井八郎右衛門高利の成功譚(3-3)

江戸で成功した高利の財は二代目の八郎右衛門高平に受け継がれることになる。一応の地盤を父が築いてくれ、その上に立った高平は、金の運用をどうすべきかと考える前に、世間の商人が何によって失敗したかというエピソードや資料を丹念に蒐(あつ)めまわっ…

三井八郎右衛門高利の成功譚(2-3)

商人は商人で利益を少しでも手に入れようとする。大名は大名で踏み倒しという手段で品物を只同然で手に入れようとする。この両者の間に入った者は、自分だけ手を拱いて儲けから外されるのが口惜しいから、せめて密告料でも稼いで鬱憤(うっぷん)ばらしをや…

三井八郎右衛門高利の成功譚(1-3)

江戸においての三井八郎右衛門高利の成功に至る工夫は、その資本(金)を運用するに当って、次の工夫をした点にあるといえる。先ず、一種類の商品に、その商品専任の店員を配したこと。これは現代でも金の運用に際しては十分に注意しなければいけない点であ…

裏金は「お悪」(3-3)

お悪はごく一部の利潤のために動くものだから、たちまち悪事が露見した場合にはストップしてしまう。これは昔も今も同じことである。が、こういった時代にこそ新機軸の金の運用が新しい方法で儲けの糸口になるものだ。 時代の間隙を縫うというやつだ。世間で…

裏金は「お悪」(2-3)

この職種は、将軍とか大名の身のまわりの雑務を一手に引き受ける役人であり、祝言事があったり、衣配りといわれる一門一統や奉公人一同に衣服を配る習慣の予算を一手にもしていたわけだ。だから、この小納戸方に袖の下とか鼻薬を嗅がせておけば、それなりの…

裏金は「お悪」(1-3)

どの時代にも、常に好況の時と不況の時がある。どちらの割合が多いかということになると、やはり不況の時代の方が多い。山が少なくて、やはり谷が多いということになる。どの時代も商売人も庶民も暮しにくいのが常である。 なぜ、そういうことになるかという…

小判は利発なもの(5-5)

アメリカの貧乏画家が鉛筆の底にケシゴムを付けたのに似ているし、保険勧誘員だったウォーターマンが先の割れないペン先を作ったのとよく似ている。 大きな資金を投入して損をする前に、金のいらない頭の回転で発明品を作り出し、それが売れるメドが立つと、…

小判は利発なもの(4-5)

「養子に迎えはったからには、御主人を江戸三番ぎりの両替にまで伸ばしまっせ。ま、ま、楽しみにして長生きしておくなはれ」と、実にたのもしい宣言をした。丁稚は、家督倍増のためにと、養父と養母の両人を翌日からお寺に参詣させ、説教を聞くようにさせた…

小判は利発なもの(3-5)

この丁稚の言葉にいたく感心した主人は、早速この話を親類一同にして、この丁稚を養子にして、家督一切を丁稚に譲りたいと相談をかけた。この主人の行為は英断といえる。なにしろ相手は十四歳の丁稚である。番頭、手代という者もいるというのに丁稚に目を付…

小判は利発なもの(2-5)

従って、商人として目のきく経営者は息子の度量才量を冷静に見抜いた上で、これを切り捨てて、他人の才覚を評価する。つまり、養子として登用し資産の倍増を目論むわけだ。この具体例を井原西鶴先生は、「日本永代蔵」の中の、「見立て養子が利発」という一…

小判は利発なもの(1-5)

商は笑なり。 商は勝なり。 と書きすすんできた。商売というものは、商人本人も客も笑顔で接して、物の取引をして、結果としては、商人が勝つ(儲ける)というふうにもっていかなくてはいけないということである。商は笑にして勝なりというわけだ。が、商人…

大阪商人の鑑は太閤秀吉(3-3)

秀吉は、このKと同じような頭の構造をもっていたような気がする。秀吉は自らサルだと口にした。サルと呼んでくれといい、サル奴はこう思いますという表現をした。大阪商人には、この気持が宿っている。滑稽とか軽薄といわれても決して自分が傷つかない不逞…

大阪商人の鑑は太閤秀吉(2-3)

ガッコアタマになにが出来るかという彼の信念は、遂にここで爆発した。彼は信長の娘を貰ったと気付いた。たしかに生活は安定しているが、仲間の目は彼の実力を評価するのではなくて、義父の実力を評価しているだけであると気付いた。その上、夜になれば、彼…

大阪商人の鑑は太閤秀吉(1-3)

大阪商人が鑑とするのは、太閤秀吉である。そして、最も嫌うのが徳川家康なのだ。では、この二人の親分である織田信長についてはどうかというと、「かっこいい!」というのと、「あの人は別格ですな」という二派に分かれるものの、いずれにしても支持率は高…

先手必勝(4-4)

-辞卑クシテ備エヲ益ス者ハ進ムナリ。 これは、相手が下手に出てくるのは攻撃を狙っているのだから十分に警戒した方がいいということである。 -辞強クシテ進駆セントスル者ハ退クナリ。 これは、強がりばかりをロにして攻めるような様子を見せる敵は、逃げ…

先手必勝(3-4)

たしかに、この考え方は商いをする上で有利に働く。実業家の成功した人たちは一様にこの精神に基づいた行動をしているものである。先ず同業者が考えない新製品を開拓した者が市場を制する。先行者が儲けているからといって同様の製品を売り出したとしても、…

先手必勝(2-4)

「先手必勝」などという。将棋などにも用いるけれども、商売に用いる場合が多い。先ず相手を食うような戦術を用いるのがいいという意味だが、この場合は、あくまでも相手と自分が同じような立場であってこそ成り立つものだということである。 対々の立場であ…

先手必勝(1-4)

商は笑なりという大阪的発想は既に述べたが、これを一歩進めて、商は勝なりについて考えていこうと思う。笑、商、勝、いずれもショウである。商いは笑いをもって相互に共感を持つことが出来るが、やはり商いは勝たなくてはいけない。とくに同業者に於いては…

スペッシャリストの衿特は「師」で表す(3-3)

ところで、言葉巧みにどういうふうにして仏具を売ったかというと、二人が一組になり、その中の一人が山伏姿になって物持の家の前に立ち、突如狂ったかのように大声で経をあげはじめる。あまりにも異様な様子に愕いたその家の主人が奉公人に理由を問いただす…

スペッシャリストの衿特は「師」で表す(2-3)

そして、野士は野師となった。当時、何かを商う場合は、師という字を下に付けたものである。クグツ師といえば人形遣いだし、トギ師といえば砥屋であった。別に、その人が師匠というわけではないが、師というのは個人として技を自慢出来る職業人(男性にかぎ…

スペッシャリストの衿特は「師」で表す(1-3)

-商は笑なり。 の概略はわかってもらえたと思うが、さらに、この奥底を探っていくとどうなるかといえば、かなり遠くまで遡る。商取引の歴史は長いが、もとはといえば物と物を交換することで成立していた。金銭で物を買うという行為は、ごく一部において平安…

商は笑なり(3-3)

-商は笑にして勝なり。 と。商、笑、勝と同じ音を並べた語呂遊びだと単純に考えてはいけない。大阪の土地では、金を持つ人間がいつの世でも勝者であるという思想が焼き付いたのである。江戸でこの思想が生れずに、なぜ大阪の土地で生れたのか。答は簡単であ…

商は笑なり(2-3)

それは、決して、饅頭の大小ではなく、旨いという第一条件がなくてはいけない。饅頭が大きくても不味かったなら、それは決して安いという評判にはならないのだ。かえって、大きいけれども旨くないという評価が下されてしまうのである。 これは饅頭にかぎらず…

商は笑なり(1-3)

-商は笑なり。 この言葉の源流を探ってみよう。そうすることで大阪人のルーツがやや明確になってきそうである。商=笑、これは大阪人が好んで使う語呂遊びである。だから、商は笑なりという言葉が生れてから後に、今度は、工は巧なりという語呂合せが生れた…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(3/3)

家訓づくり屋というのも誕生した。とくに第三期になると面白いのは、子供が親の苦労話などに耳を傾けなくなったのである。だから、心学者の先生方は家訓づくり屋として、生計を保つ糧を得るようになったのだ。考えてみれば滑稽なことではないか。自分の家の…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(2/3)

この強さ、したたかさでなにを守ろうとしたか。事業である。財である。つまりは家である。事業が完成した時には誰しもこれを永続させようと腐心するのは当然である。そして、商家が企業体よりも、家長中心主義の親族の構成による「家」と昔はみたわけで、こ…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(1/3)

約三百年前の日本人の庶民生活はどうであったかを上方(大阪を中心とした)の人間の考えで現代と比較し、現代はこれで大丈夫だろうかと考えていきたい。 断っておくが、私は大阪生れの昭和一桁であり、大阪で育ち、進学した学校名も浪速中学、浪速高校、浪速…