阿呆二阿呆トイウ阿呆(1/3)
約三百年前の日本人の庶民生活はどうであったかを上方(大阪を中心とした)の人間の考えで現代と比較し、現代はこれで大丈夫だろうかと考えていきたい。
断っておくが、私は大阪生れの昭和一桁であり、大阪で育ち、進学した学校名も浪速中学、浪速高校、浪速大学(現在の大阪府立大学)で、一貫して「浪速」であると御承知いただきたい。だから、物の見方も大阪的であるのは当然のことである。
故に、大阪以外の土地の方がお読みになって、「なんと馬鹿なことをいっているのか」と思われる節が多々あると思うが、そういう時は、読みながら「阿呆奴が!」と大声で遠慮なく罵倒していただきたい。
おそらく私は莞爾(かんじ)として受け流すであろうと思う。どうしてかというと、大阪には昔(江戸中期)から次のような表現があるためだ。
「阿呆二阿呆トイウ阿呆ハ、ホンマノ阿呆ヤ。」
というわけである。つまり、阿呆といった方が阿呆なのである。大阪人のしたたかさは、こういう表現を土台にして生れてきたといっていい。士農工商という身分制度の決定に伴い、大阪(大坂)の商人は一番底辺に位置せざるを得なかった。泣いても喚(わめ)いても騒いでもお上が決めてしまったために、この差別を甘んじて受けなければならなかった。だからこそ、自らの胸の奥底に不遜な精神を宿すことになったのである。
「大阪人はずるい」といわれたなら、「へ、人間の身につける知恵というもんは総じて悪知恵やおまへんか。大阪人はズルイといいはりますけども、それはそんだけ知恵者やということやおまへんか」
とやり返す根性を持つようになった。雑草の強靭さといえる。この強さを誇りとして生き抜いてきたのが大阪人だといえる。