ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

阿呆二阿呆トイウ阿呆(3/3)

家訓づくり屋というのも誕生した。とくに第三期になると面白いのは、子供が親の苦労話などに耳を傾けなくなったのである。だから、心学者の先生方は家訓づくり屋として、生計を保つ糧を得るようになったのだ。考えてみれば滑稽なことではないか。自分の家の家訓をつくらずに、他家の家訓を徹夜でっくりあげて収入を得ていたわけだ。

が、その内容はどれもこれも似たりよったりである。衣食住の贅沢をしてはいけないとか、博突とか諸種の勝負事に手を出してはいけないとか、訴訟に巻き込まれてはいけないとか、好色は身の破滅であるぞといったものばかりが、それぞれ表現を変えて書き連ねてあるだけだ。とくに現代に珍しい事項といえば、くれぐれも火事を起すな、火事に巻き込まれてはいけないぞという個所である。自分の家から火事を出して他家に類焼するということになったなら、この一家は三代から四代にわたって他人の恨みを買うぞと脅しをかけているのである。火災保険の制度がまったくない時代だから、火を出したが最後、一瞬にして「金持ち」が「貧乏」に転落してしまうというわけだ。

好色、浮気を「火遊び」というのは、すべてが灰になる危険があるからだと、いささかこじつけがましく説いているのもある。こういう家訓の手本として、わが敬愛してやまない井原西鶴先生は、次のような一文を書いておられる。

これは、ある男が西鶴先生に向かって、「先生、どうすれば金が儲かりますのや。ひとつ具体的に教えておくなはれ。そいで、出来れば儲かった金は、どのようにして損失せんように子孫にいい伝えたらよろしおますのやろか」と訊ねた時に、先生は目の前の紙にさらさらと筆をはしらせて書いたといわれているものである。

先ず、先生は「長者丸(ちょうじゃまる)」とお書きになった。これは大金持になるために服用すべき妙薬という意味である。

-朝起(あさおき)五両、家職(かしょく)二十両、夜詰(よづめ)八両、始末(しまつ)拾両、達者(たっしゃ)七両。此五十両を細にて胸算用秤目の違ひなきやうに手合念を入、是を朝夕呑込からは、長者にならざるといふ事なし。-

朝起(早起)は三文の得というのはあまりにも安いというわけである。早起は、なんと五両の儲けであるという。一両は米一石というのが通り相場だが、これは現代の物価高から考えると馬鹿安い。家賃とか食費から考えれば、一両は10万円也と考えてもいいだろう。とすれば、早起は50万円の得ということになる。そして一日15、6時間働いたならば、二十両と八両を加えて、一日の儲けが実に280万円になるというわけだ。これに加えて始末(節約)に徹したならば、100万円が儲かるというのだ。さらに達者(健康)の値段が70万円ということになり、なんとなんと500万円也の値打があるというのだ。

一日の生甲斐料が500万円と換算したところが如何にも大阪の人らしいではないか。これは裏返していえば、一日怠けていたなら、500万円也が消えていくぞということになる。脅しを金の高で示して働く意欲を高めようとしたわけである。二日で1000万円というわけだ。これを一年と計算したならば、実に莫大な金額になってしまう。

健康よりも始末の方が三両高いというところが大阪的である。が、これを読んだ小商人が病気になった。そこで薬代を始末した挙句に死んでしまったという笑い話もある。これを聞いた西鶴先生が笑っておっしやったことには「そうかいな、死によったかいな。それはまあまあお気の毒な話やなあ。そやけども、死んだら衣食住も考えんでええし、仕事もせんでええし、体のことを気遣うこともないし、ましてや始末する必要もないさかいに、めでたいこっちやがな。そないに楽なことて、この世ではなかなか巡り合うことが出来へんのや」

この話、いささか眉唾な話だが、如何にも西鶴先生ならおっしゃるような気がして面白いではないか。こういうふうに考えると、死ぬという一生一回きりのイペントもなかなか味のあるものだと思う。

さて、この先、大阪の商人たちは、どういう家訓を創作していったかということを述べると

-商いは牛の誕なり。

-商いは飽きない事也。

という語呂合わせふうのが多い。

大阪人は、笑いを家訓の中に盛り込んで、子孫に伝えようとしはじめたのである。ただし、長者といわれる大富豪の家訓ではなくて、もっと雑草のような庶民階級までが、家訓づくりに励み出したわけである。金は持っていないが、とりあえずわが家にも「家訓」をつくっておこうと考えはじめたのだ。それは次第に「人生訓」じみたものになっていく。