あきんどは「さんずの川」をわたるな(1-3)
大阪の商家にそれぞれの家訓が定着した享保年間から、大阪独自の人生訓が各家に普及しはじめた。たとえば、次のようなものである。
-いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難。
これをお手洗に貼ったりした。これは現在でも古い商家のトイレの男便所に貼ってある。男性が己のシンボルをズボンの中から引っ張り出す時に、いやでも目に入るという仕掛けである。女便所にはあまり貼らないらしい。ということは、家財を蕩尽(とうじん)するのは女児ではなく男児だということだろう。親と金にいつまでも頼るなという独立心を毎朝教え込もうとしたわけである。
-親切とは親を切れではない。親から切れるが親切なり。
というのもある。これもまた子供の独立心を促すものである。これはたいしたものではないと思われがちだが、江戸では絶対にお目にかからない言葉だろう。なぜなら、江戸の場合は、武士を第一として家柄を尊ぶわけだから、親はあくまでも親であり、子供の方から親を切るという風潮は全くないと思われる。武士階級には見られない格言である。
-士農工商の商こそ土台。
というのもある。身分制度で最下位に甘んじた大阪商人の不屈の精神があらわれている。つまり、ピラミッドの底辺を「商」として見ているわけである。流通経済を一手に扱っているのが商人であり、天下の台所を切りまわしているのが商人だから、その商人がいてこそ工業(職人)も農民も利益にありつけるというわけで、武士も安泰出来るのだぞと胸を張っているわけである。そしてまた、商いに重要な守るべき三点があると指摘している。
-あきんどはさんずの川をわたるな。
というものである。これを単純に解釈してはいけない。さんずの川といっても死者が渡るといわれる三途の川ではないのだ。商人には、常に心がけていなければならない三つの「べからず」があるということだ。このヤッテハイケナイ三つの事とは、
-金貸さず。役就かず。印鑑せず。
の三つであり、三という字を縦にすると川になるから「さんずの川」「三ずの川」ということになる。またもう一つの意味をさんずに持たせている。それは「散ず」ということだ。この規則を破ったなら、財産を散ずるぞという散財の諌(いさ)めである。大阪人は大坂人と呼ばれた頃から、こういった言葉遊びが好きな人種なのだ。漢字をバラバラにして楽しんだりする。この例は後述することにして、さんずの川の解釈をもう少しつづけてみよう。
先ず、金は絶対に他人に貸すのはいけないという。貸した金が返ってこないと思えである。金を借りるのは「信用」の証明であるといいながら、金は貸してはいけないと主張するところが、甚だ大阪的であるといえる。そして、金を貸さない方法を親は子供に教えるのだ。その方法とは、先ず、金を借りにきた相手を素早く見抜けという。どういうふうに見抜くかといえば、相手の表情から判断しろという。
金を借りにきた人は、久しぶりにやってきたのに、いやに愛想笑いをしているものだという。低姿勢だから自然とそういうふうになるというわけだ。ところが、この笑い方がチグハグであるという。目が笑っているのに口許が笑っていないとか、口許が笑っているのに目が笑っていないという奇妙な食い違いがあり、その点を素早く見抜けという。生き馬の目を抜くのは江戸だが、上方は人間は目を見抜くことが第一というわけである。