ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

商は笑なり(2-3)

それは、決して、饅頭の大小ではなく、旨いという第一条件がなくてはいけない。饅頭が大きくても不味かったなら、それは決して安いという評判にはならないのだ。かえって、大きいけれども旨くないという評価が下されてしまうのである。

これは饅頭にかぎらずに、どんな商品についてもいえることである。旨くて安いという評判が立つと、客は殺到する。東京、京都といった土地柄では、老舗というものが大きな力を持っているけれども、大阪の場合は江戸時代から「旨くて安い」という新店が出現したなら、たちまちにして老舗を凌駕してしまう勢いを持つのが通常である。

だから、大阪の老舗といわれる店と東京、京都の老舗といわれる店以成り立ちが違うのだと解釈してもらいたい。東京の老舗の場合は将軍家の引立てにあずかったといえるし、京都の老舗の場合は公家の御用達として生命をながらえたといえるけれども、大阪は、その「恩恵」で生きながらえたという老舗は皆無といっていいだろう。

将軍の袖の下に入ることも出来ず、また公家の御機嫌を取り結ぶということも出来なかったのである。旨くて安い食べ物でなくしては大衆は見向きもしないし、便利で安い商品でなくしては、大衆という名の消費者は、その店を支持しなかったわけである。大阪で老舗たり得るサバイバル(生き残り)方法は、江戸や京都よりも数十倍の競争率であったといえる。商は笑なりの精神を何代も維持することによって、大阪の老舗は今日に至ったといえる。時流に沿った商人魂に貫かれてこそ「老舗」の看板が継続し得るわけである。

もう一度、話を一軒の饅頭屋に戻して考えてみよう。旨くて安いという評判が立つと当然のことに客はその店に殺到することになる。その店が如何に遠かったとしても、客は足を運ぶのである。大阪人にとって距離の遠近なんぞは問題ではないのだ。それよりも商品という「実物」を自分の目で確かめたいという欲求の方が強いわけである。饅頭なら、自分のロに放り込んで、しっかりと美味を確かめてみたいのである。大阪人は、他の土地の人々よりも好奇心が強いわけだ。この好奇心という名の「欲求」を満たすためには、千里の道を遠しとせずという行動力を発揮するわけである。

店は繁昌する。繁昌して儲かるとなれば、材料も大量に仕入れることになり、材料費が安くなる。これを客に何割か還元しようとすると、仮に五個百円だったものを六個百円というサービスにつなげる。客は、このサービスで笑顔になる。今まで三個買っていた客も六個入りを買うようになる。つまり、一人の客が大量に買うというかたちが生れてくるから、店はますます繁昌していくわけである。

店のほうも笑顔が生れてくる。ここにはじめて、商は笑なりの商人精神が成立し、この客に信用を得た店は、二代、三代といった具合に歩みつづけていくと老舗にと発展していくのである。家訓が諺になり、そして、利を生み出していくまでには、かなりの長い歳月を要するということになる。この理念、方法が前述した

-商いは牛の誕-とか-商いは飽きない-といった表現と一致していくわけだ。そして、一方では貯める努力をしたわけだ。金を貯めた者が勝つという思想が生れた。ここに、商は笑なりよりも一歩進んだ言葉が生れた。