ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

スペッシャリストの衿特は「師」で表す(1-3)

 -商は笑なり。

の概略はわかってもらえたと思うが、さらに、この奥底を探っていくとどうなるかといえば、かなり遠くまで遡る。商取引の歴史は長いが、もとはといえば物と物を交換することで成立していた。金銭で物を買うという行為は、ごく一部において平安時代に行われたとみるのが正しいのではないだろうか。

この平安期の社会構成を眺めてみると面白い。そこに自ずから商人成立の芽のようなものが感じられる。先ず、社会の軸に貴族階級がいた。公家の一族である。為政者として堂々の君臨をしていたわけである。この為政者たちを護っていたのが武士たちである。政治家を擁護するのが国家公務員、つまり国家警察であった。

国会議事堂を囲んで警護する警視庁の武装警官隊という陣容は現代と同じである。時代が変遷しても、科学が進歩しても、人間が構成する社会はなにも変ることがないのである。武士階級は、なによりも家柄、門地を大切にして、子孫に自分の地位を譲り渡そうと汲々としている。そのために、己と一族を常に有利な立場に置こうとしているわけである。

そして、世の人たちは、出世の第一願望を下級でもいいから武士に焦点を合わせた。公家には逆立ちしてもなれないから、武士の最後尾に連がりたいものだと願ったわけである。ここに誕生したのが各地の力のある者の集団である。武士ではない彼等は、在野の武士という意味で、野武士というふうにいわれたのだ。

この野武士たちが暴れて困るのは、一般民衆よりも本来の貴族と雇用関係にあった武士ということになる。いつ何時、無暴な野武士集団に襲われて、自分の地位を奪われるかもしれないという恐怖心にとらわれるのは当然といえる。といって、武士の方から野武士の鎮圧に入るということになれば、これは藪蛇である。なにしろ、野武士の背景には地方の豪族という金主(スポンサー)がいるから、武士が下手に出たなら、たちまちにして群をなした野武士集団の襲撃を受け、かなりの痛手を受けること必定である。

死の制裁ということになれば、折角安泰している一族は四散してしまうことになる。そこで、武士階級は下手に出ようと考えた。下手ではなくて下手こそ自己保身の術であり、これは昔も今もなんの変りもない。武士は主である貴族に、「何卒、野武士の連中から武器を取り上げて下さいますように……」と申し出た。この意見は、意外にあっさり受け入れられた。その理由として、次のふたつが考えられる。

ひとつは、貴族の面々もかねがね野武士の横暴を危惧していたということと、もうひとつは、武士の申し出を断ったならば、警護側の彼等が寝返りをうつと考えたのだろう。だから、この際、武士の申し出を聞き入れ、布告を野武士の集団に放って、氏素姓のはっきりした者にだけ武器の携行を許可しようといい切ったのだ。

事実、野武士の中には一発屋が各地に続出していた。現在でいう暴力団の構成に似ている。ひそかに武器を携行して、それぞれが××組△△系といった一応の流れを持っていたわけである。どういう混乱が起るかわからない状態が予想された時代だ。中には知的なのもいたが、おおむねが力を誇示しようという連中であった。

野武士たちは、武器を取り上げられた。丸裸の状態になった彼等は、すでに野武士ではなくなった。ここに面白い文字遊びを披露しようか。野武士という文字から武を取り除けば、どういう字になるか。野生である。このノシという字は、ヤシとも読めるではないか。が、すでに士ではないから、野士という熟語は成立し得ないことになる。