ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

大阪商人の鑑は太閤秀吉(1-3)

大阪商人が鑑とするのは、太閤秀吉である。そして、最も嫌うのが徳川家康なのだ。では、この二人の親分である織田信長についてはどうかというと、「かっこいい!」というのと、「あの人は別格ですな」という二派に分かれるものの、いずれにしても支持率は高い。秀吉を十とすれば信長は八であり、家康は二か一になる。何故、大阪商人が秀吉を範とするのかと考えてみよう。

信長は「天才タイプ」なのだ。独自の思考を巡らせて、これを即刻に実行していくところがある。時には狂気の如きところがある。予知能力すら発揮する傾向がある。創意を見事に工夫に結びつけ、さらにこの工夫を技術として生み出すのだから、まさに「天才」なのだ。しかし大阪商人は、こういったキラキラの天才タイプをあまり好まないのだ。これは戦国時代から現在に至るまで変りなくつづいている。

ガッコアタマ(学校頭)を嫌うというよりも、あまり重視しないのが大阪商人の特質である。現在の学歴社会に入っても、このガッコアタマは重視しない。最近の面白いエピソードをひとつ披露してみよう。私の中学校時代の同窓生にKというのがいる。魚の仲買人をやっている。中学を卒業するとすぐに魚市場で働きはじめた。中学三年の秋に隣りに座っていたKが重重しく宣言したのを昨日のように思い出す。

「家の経済の事情もあるが、おれは高校に進学するのをやめた」成績もいい男だったので、私は愕いた。その時、彼は学校頭で世の中は渡れないといったのだ。彼の家は代々小商人だったが、父が相場で損をして学費が出なくなったのだった。彼は魚市場に勇躍日雇いとして入り込んだ。定まった給料でなく、その日その日の割で金を手にしながら、一日も早く一人前の仲買人になって、自分の勘で魚の選択から値段を左右する男になりたいと希望したのだ。

彼は二十歳になる寸前に結婚した。見合結婚である。彼の骨身を惜しまぬ働きぶりを見た親方が自分の娘と添わそうとした。娘は、女子短大生であった。彼は結婚したものの二年で別れた。彼女の虚栄に腹が立ったのだ。彼女の虚栄は、まず彼が中卒であるというところからはじまり、学歴の差を持ち出して常に優位を誇ろうとしたことであり、次には父の権威の下で安楽に暮せるのは、自分と結婚したからだと主張しはじめたのだ。