ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

大阪商人の鑑は太閤秀吉(3-3)

秀吉は、このKと同じような頭の構造をもっていたような気がする。秀吉は自らサルだと口にした。サルと呼んでくれといい、サル奴はこう思いますという表現をした。大阪商人には、この気持が宿っている。滑稽とか軽薄といわれても決して自分が傷つかない不逞さを持って生きようとしてきたのである。なんといわれようとも、先人の残してくれた知識や技術を工夫(応用)して知恵と化して生きていこうとしたわけである。

学校頭は知識オンリーである。応用する能力を持っていないから失敗する。しかし大阪商人は工夫を第一に考えて歩んでいこうとするために、客に対しても腰低く応待したり、時には滑稽さを披露して相手の懐の奥に入っていこうとしたりするわけである。それでいて、いつかは天下を統一しようという野望だけは失わないのである。商人として成功するには、この秀吉型が一番いいといわなければならない。武士の商法では客を寄せることは不可能である。

テレビコマーシャルでも、ピップエレキバンという商品があった。肩凝りに貼る小さな粒の効用を会長の出演で滑稽に見せながら、業績を急伸させたものだ。テレビのCMを見ている方は、笑いながら見ていて、つい購買欲が募ってくるということである。これこそが秀吉型のCMといえる。軽妙、滑稽を自ら演じながら、目的を達する方向へと歩んで行く。

秀吉が藤吉郎といっていた頃は、信長に対しては、常にこの大阪商人の精神で接してきたといえる。インテリの臭気を徹底的に抜いて信長に仕えたわけだ。自分の人格を侮辱されても、まったく痛みを感じるふうもなかったのが成功の因である。この精神が勝利をもたらす一大要因になっていくわけである。商人は、自分が如何に卑屈に振舞っても金さえ儲かれば勝だという考えがいつも根底に眠っているわけである。商は笑にして勝なりというのは、秀吉の思想から生れたものと思ってもいいだろう。

信長、家康と秀吉が違う点はもうひとつある。これは、はじめの儲けを決して自慢したりはしない点である。「これは、あなたあってこその私の手柄と申し上げねばなりません」という態度をとる。なぜ、こういう態度をとるかというと、これは相手の心理を巧みに操って、自分の身を守るためである。なぜ、そんな卑劣なことをしなければいけないのかと思う人は、先ずは商人になる資格がないといわざるを得ない。この商人の心理と秀吉の心理(思考)の同一点を次に考えてみよう。そこに自ら一本の商人道、商人精神というものが現れる。