ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

小判は利発なもの(3-5)

この丁稚の言葉にいたく感心した主人は、早速この話を親類一同にして、この丁稚を養子にして、家督一切を丁稚に譲りたいと相談をかけた。この主人の行為は英断といえる。なにしろ相手は十四歳の丁稚である。番頭、手代という者もいるというのに丁稚に目を付けたのだ。

主人は、すぐに伊勢の親元に養子縁組の諒解をとっだが、愕いたのは親元の方だ。十四歳になにが出来るかというわけだ。ところが主人は強引に親元を口説いた。ところで話はこれからである。この丁稚はかなりしっかりしている。

「養子になってもよろしおますけども、この家の資産を知ってな承知出来まへん」という。十四歳風情でいえる言葉ではない。主人もそれはそうだと勘定帳を見せた。「ふむ、借金は一文もおまへんな」などと呟きながら、勘定帳を仔細に合計していくと二千八百両という額になった。

「これで全部でおますか」と執拗に食いついてくるので、主人は女房の寺参りの箪笥預金の百両の包みまで出さざるを得なかった。「これは五年前に封印して置いてあった分だ。これで全部だ」総額二千九百両である。が、丁稚は、うんざりした表情になっていったものだ。

「なんとも商い下手でおますなあ。お金を包んでおいても、一両も増えるわけにはいきまへんがな。小判というもんは生き物でおまっせ。小判は利発(賢明)なもんでおまっせ。それを長櫃の底に入れて置くというのは、小判を殺してしまうようなもんですで。商人やったら、もっと大きな視野で世間を見渡しはらないけまへんなあ。こんなことをしてはったら大分限にはなれまへんで。頭が禿げても、やっとこさの三千両どまりやおまへんか。三千両ぐらいでは、大きな顔は出来まへんで」

養子になった途端に、十四歳の丁稚は実にズケズケといい放った。主人はやや困惑したものの、丁稚のいい分も筋が通っているので反論出来なかった。