ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

小判は利発なもの(4-5)

「養子に迎えはったからには、御主人を江戸三番ぎりの両替にまで伸ばしまっせ。ま、ま、楽しみにして長生きしておくなはれ」と、実にたのもしい宣言をした。丁稚は、家督倍増のためにと、養父と養母の両人を翌日からお寺に参詣させ、説教を聞くようにさせた。

その帰りには、納所坊主から、両替商売に必要な小銭を安く買わせ、お供に付けた丁稚には、参詣人たちが説教に疲れて居眠りするのを封じるための眠気ざましの山椒の入った菓子を売らせた。供を連れてこない参詣人に丁稚を近付けて、杖と草履を一銭ずつで預かる方法を考えた。

丁稚が丁稚を使うというわけだ。先ずは資本には一切手を付けずに、小銭を稼ぐ方法から出発した。この一銭が馬鹿にならない。丁稚たちの給金ぐらいにはなる。ということは、無料で使用人を使うということになる。人件費を浮かすという方法ではじまり、資本を投入する時は、アイデアで勝負した。

船着場には行水船を浮かべて、刻み昆布を秤売りして儲けた。行水船というのは、おそらくタライ舟であろう。タライ舟なら棹一本で動かせる。それに刻み昆布を売ったというところがミソである。昆布は日持ちがするから、売れ残っても絶対に損にならないというわけである。次いでアイデアは発明というものに傾いていく。それも実用品に適したものである。

松脂と桐油とを混ぜ合わせてみた。これを皿に塗るとなかなか味のあるものになった上に、他の油を保存するために最適ということが世間に広まり、チャン(歴青)塗りの油皿として人気を呼んだ。

それに、特製の湿らない紙製の煙草入れを作り出した。油皿にしても煙草入れにしても小物の類であり、誰でも手を出す商品を考え出したのが丁稚の利発なところである。