ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

裏金は「お悪」(1-3)

どの時代にも、常に好況の時と不況の時がある。どちらの割合が多いかということになると、やはり不況の時代の方が多い。山が少なくて、やはり谷が多いということになる。どの時代も商売人も庶民も暮しにくいのが常である。

なぜ、そういうことになるかというと、金の運用が行き詰ってしまうのである。お金の上での取引が頭打ちになってしまうからである。みんなが同じような商いの方法をしてしまうと、次第に墓穴を掘るということになっていくのである。

これは、平成の現代でも遠く二百数十年の江戸時代でも同じである。金の運用、品物の運用をひとつ間違ったばかりに倒産の憂き目に遭うのである。元禄時代もしばしば不況に見舞われた。

一時は袖の下という金の運用のお陰で繁栄を極めた江戸の本町の幕府・諸大名御出入りの呉服商も次第にじり貧になっていった。これらの呉服商は、すべて上方の町人の出店であった。

店を一任されていたのは、手代である。現在でいえば出張所所長、あるいは本社の課長クラスというところである。この手代の下で奉公人(丁稚・小僧)は、他の店に負けてはいけないとそれぞれ出入りの大名屋敷にこまめに出かけては、お役人の御機嫌伺いをしたわけである。手代以下は、それぞれ励んでいたわけである。こういう呉服商人が袖の下を最も頻繁に渡す相手は小納戸方と呼ばれる役人であった。