ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

裏金は「お悪」(2-3)

この職種は、将軍とか大名の身のまわりの雑務を一手に引き受ける役人であり、祝言事があったり、衣配りといわれる一門一統や奉公人一同に衣服を配る習慣の予算を一手にもしていたわけだ。だから、この小納戸方に袖の下とか鼻薬を嗅がせておけば、それなりの便宜をはかってくれた。儲けにつながったわけである。

収賄で商売は成り立っていたことになる。したがって、この当時の商人の金の運用は、暗くてきたない秘密の金であった。この風習は次第になくなっていく。そりゃそうだろう。幕府内でも各大名聞にも小納戸方ばかりが甘い汁を吸っているのが許されない行為として映りはじめたからである。

大名の方も商人風情の身分の低い者に儲けられてたまるものかと大名屋敷が幾度か会合を開いて、入札制度を採用するに至ったのである。大名屋敷が組んでの入札制度は商人いじめにもってこいのシステムである。

商人は安い値をつけて入札されても文句ひとついえない。品物はすべて安値の納入となる。これでは従来の儲けには遠く及ばない。勘定が合わないことになってくる。その上、大名たちは掛売りを当然のことだと思っているから、掛売り代金をなかなか支払わないことになる。これでは納品しても損をするばかりである。

「なにとぞ、この半年分の代金をお支払い下さいまし」と、辞を低くして泣きついてみても、商人いじめで一且味をしめた大名の方は権威を笠にきて、大きな顔で見下していうだけである。

「ま、いいではないか。以前は小納戸方を抱き込んで、お前たち商人はしこたま儲けたではないか」商品は向こうに取られた上に、代金を支払ってもらえずということになると、商人は泣きつ面に蜂ということになる。

「これでは上方の両替屋に銀を預けて、その利回りで小そうに稼いでいた方が楽でおますなあ」商人たちは寄るとこんな話を交わすようになった。

「そうだすなあ。為替金も支払うことが出来まへんもんなあ・・・」と青息吐息の態である。

「店を小そうにしたらどうだすやろか」

「そら、あきまへん。かえって危険でおまっせ。諸大名に余計に見くびられるのがオチでおまっせ。掛売りの代金を支払うてくれんことになるわけでっせ」

「あんたとこ、どれぐらいの損ですのや」

「ざっと五百貫でおますな」

「うちとこは八百貫でおまっさかいになあ」

「どないしたらよろしいかいなあ・・・」

「商売替えというのはどうだすいな」

「いや、急に、そないにいうても、あんた、それは無理や」

袖の下として金の運用をしたために、こういうことになってしまったわけだ。

堂々とした金の運用ではなかったがためである。応々にして裏金として金を運用した場合の末路はこういったものである。裏金は悪しき金であり、文字どおり「お悪」なのである。