ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

商は笑なり(3-3)

-商は笑にして勝なり。 と。商、笑、勝と同じ音を並べた語呂遊びだと単純に考えてはいけない。大阪の土地では、金を持つ人間がいつの世でも勝者であるという思想が焼き付いたのである。江戸でこの思想が生れずに、なぜ大阪の土地で生れたのか。答は簡単であ…

商は笑なり(2-3)

それは、決して、饅頭の大小ではなく、旨いという第一条件がなくてはいけない。饅頭が大きくても不味かったなら、それは決して安いという評判にはならないのだ。かえって、大きいけれども旨くないという評価が下されてしまうのである。 これは饅頭にかぎらず…

商は笑なり(1-3)

-商は笑なり。 この言葉の源流を探ってみよう。そうすることで大阪人のルーツがやや明確になってきそうである。商=笑、これは大阪人が好んで使う語呂遊びである。だから、商は笑なりという言葉が生れてから後に、今度は、工は巧なりという語呂合せが生れた…

あきんどは「さんずの川」をわたるな(3-3)

商人にとって(時間)とは桑(くわ)の葉のようなものだ。一匹の蚕(かいこ)になって、時間という名の桑(くわ)の葉をしっかりと食べつづけていかなくては、時代に置き去られる危険があるという考えが根強く残っているわけである。一日に食べる量が減少し…

あきんどは「さんずの川」をわたるな(2-3)

そして、ただ見抜いただけではいけないと説く。そういう相手が家に訪ねてきた時には素早く相手の胸あたりを指して、すかさず次のようにいうべしとある。 「おう、ええとこ(いいところ)にやってきたな。実は来るのを待ってたんや。少しまとまった金を貸して…

あきんどは「さんずの川」をわたるな(1-3)

大阪の商家にそれぞれの家訓が定着した享保年間から、大阪独自の人生訓が各家に普及しはじめた。たとえば、次のようなものである。 -いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難。 これをお手洗に貼ったりした。これは現在でも古い商家のトイレの…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(3/3)

家訓づくり屋というのも誕生した。とくに第三期になると面白いのは、子供が親の苦労話などに耳を傾けなくなったのである。だから、心学者の先生方は家訓づくり屋として、生計を保つ糧を得るようになったのだ。考えてみれば滑稽なことではないか。自分の家の…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(2/3)

この強さ、したたかさでなにを守ろうとしたか。事業である。財である。つまりは家である。事業が完成した時には誰しもこれを永続させようと腐心するのは当然である。そして、商家が企業体よりも、家長中心主義の親族の構成による「家」と昔はみたわけで、こ…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(1/3)

約三百年前の日本人の庶民生活はどうであったかを上方(大阪を中心とした)の人間の考えで現代と比較し、現代はこれで大丈夫だろうかと考えていきたい。 断っておくが、私は大阪生れの昭和一桁であり、大阪で育ち、進学した学校名も浪速中学、浪速高校、浪速…