ナニワ商人の知恵と習慣

商売人と言われる大阪人のDNAに宿る「ナニワ商人(あきんど)」の知恵と習慣

2012-01-01から1年間の記事一覧

大阪商人の鑑は太閤秀吉(3-3)

秀吉は、このKと同じような頭の構造をもっていたような気がする。秀吉は自らサルだと口にした。サルと呼んでくれといい、サル奴はこう思いますという表現をした。大阪商人には、この気持が宿っている。滑稽とか軽薄といわれても決して自分が傷つかない不逞…

大阪商人の鑑は太閤秀吉(2-3)

ガッコアタマになにが出来るかという彼の信念は、遂にここで爆発した。彼は信長の娘を貰ったと気付いた。たしかに生活は安定しているが、仲間の目は彼の実力を評価するのではなくて、義父の実力を評価しているだけであると気付いた。その上、夜になれば、彼…

大阪商人の鑑は太閤秀吉(1-3)

大阪商人が鑑とするのは、太閤秀吉である。そして、最も嫌うのが徳川家康なのだ。では、この二人の親分である織田信長についてはどうかというと、「かっこいい!」というのと、「あの人は別格ですな」という二派に分かれるものの、いずれにしても支持率は高…

先手必勝(4-4)

-辞卑クシテ備エヲ益ス者ハ進ムナリ。 これは、相手が下手に出てくるのは攻撃を狙っているのだから十分に警戒した方がいいということである。 -辞強クシテ進駆セントスル者ハ退クナリ。 これは、強がりばかりをロにして攻めるような様子を見せる敵は、逃げ…

先手必勝(3-4)

たしかに、この考え方は商いをする上で有利に働く。実業家の成功した人たちは一様にこの精神に基づいた行動をしているものである。先ず同業者が考えない新製品を開拓した者が市場を制する。先行者が儲けているからといって同様の製品を売り出したとしても、…

先手必勝(2-4)

「先手必勝」などという。将棋などにも用いるけれども、商売に用いる場合が多い。先ず相手を食うような戦術を用いるのがいいという意味だが、この場合は、あくまでも相手と自分が同じような立場であってこそ成り立つものだということである。 対々の立場であ…

先手必勝(1-4)

商は笑なりという大阪的発想は既に述べたが、これを一歩進めて、商は勝なりについて考えていこうと思う。笑、商、勝、いずれもショウである。商いは笑いをもって相互に共感を持つことが出来るが、やはり商いは勝たなくてはいけない。とくに同業者に於いては…

スペッシャリストの衿特は「師」で表す(3-3)

ところで、言葉巧みにどういうふうにして仏具を売ったかというと、二人が一組になり、その中の一人が山伏姿になって物持の家の前に立ち、突如狂ったかのように大声で経をあげはじめる。あまりにも異様な様子に愕いたその家の主人が奉公人に理由を問いただす…

スペッシャリストの衿特は「師」で表す(2-3)

そして、野士は野師となった。当時、何かを商う場合は、師という字を下に付けたものである。クグツ師といえば人形遣いだし、トギ師といえば砥屋であった。別に、その人が師匠というわけではないが、師というのは個人として技を自慢出来る職業人(男性にかぎ…

スペッシャリストの衿特は「師」で表す(1-3)

-商は笑なり。 の概略はわかってもらえたと思うが、さらに、この奥底を探っていくとどうなるかといえば、かなり遠くまで遡る。商取引の歴史は長いが、もとはといえば物と物を交換することで成立していた。金銭で物を買うという行為は、ごく一部において平安…

商は笑なり(3-3)

-商は笑にして勝なり。 と。商、笑、勝と同じ音を並べた語呂遊びだと単純に考えてはいけない。大阪の土地では、金を持つ人間がいつの世でも勝者であるという思想が焼き付いたのである。江戸でこの思想が生れずに、なぜ大阪の土地で生れたのか。答は簡単であ…

商は笑なり(2-3)

それは、決して、饅頭の大小ではなく、旨いという第一条件がなくてはいけない。饅頭が大きくても不味かったなら、それは決して安いという評判にはならないのだ。かえって、大きいけれども旨くないという評価が下されてしまうのである。 これは饅頭にかぎらず…

商は笑なり(1-3)

-商は笑なり。 この言葉の源流を探ってみよう。そうすることで大阪人のルーツがやや明確になってきそうである。商=笑、これは大阪人が好んで使う語呂遊びである。だから、商は笑なりという言葉が生れてから後に、今度は、工は巧なりという語呂合せが生れた…

あきんどは「さんずの川」をわたるな(3-3)

商人にとって(時間)とは桑(くわ)の葉のようなものだ。一匹の蚕(かいこ)になって、時間という名の桑(くわ)の葉をしっかりと食べつづけていかなくては、時代に置き去られる危険があるという考えが根強く残っているわけである。一日に食べる量が減少し…

あきんどは「さんずの川」をわたるな(2-3)

そして、ただ見抜いただけではいけないと説く。そういう相手が家に訪ねてきた時には素早く相手の胸あたりを指して、すかさず次のようにいうべしとある。 「おう、ええとこ(いいところ)にやってきたな。実は来るのを待ってたんや。少しまとまった金を貸して…

あきんどは「さんずの川」をわたるな(1-3)

大阪の商家にそれぞれの家訓が定着した享保年間から、大阪独自の人生訓が各家に普及しはじめた。たとえば、次のようなものである。 -いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難。 これをお手洗に貼ったりした。これは現在でも古い商家のトイレの…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(3/3)

家訓づくり屋というのも誕生した。とくに第三期になると面白いのは、子供が親の苦労話などに耳を傾けなくなったのである。だから、心学者の先生方は家訓づくり屋として、生計を保つ糧を得るようになったのだ。考えてみれば滑稽なことではないか。自分の家の…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(2/3)

この強さ、したたかさでなにを守ろうとしたか。事業である。財である。つまりは家である。事業が完成した時には誰しもこれを永続させようと腐心するのは当然である。そして、商家が企業体よりも、家長中心主義の親族の構成による「家」と昔はみたわけで、こ…

阿呆二阿呆トイウ阿呆(1/3)

約三百年前の日本人の庶民生活はどうであったかを上方(大阪を中心とした)の人間の考えで現代と比較し、現代はこれで大丈夫だろうかと考えていきたい。 断っておくが、私は大阪生れの昭和一桁であり、大阪で育ち、進学した学校名も浪速中学、浪速高校、浪速…